2019-01-01から1年間の記事一覧

美角薬局 京成津田沼の看板建築

袖ヶ浦団地から京成津田沼駅へ向かう途中には明治期の商家や住宅が数件残っています。 大学時代、通った道に一軒だけ気になっていた店がありました。 以前お話を伺った際丁寧に説明していただきました。 美角薬局 昭和12(1937)年 内装は大きく改装されている…

若松河田駅から神楽坂の近代建築と住宅

◼︎若松河田駅界隈 早稲田大学内藤多仲博士記念館 大正15(1925)年 耐震構造の父と呼ばれた構造設計者の邸宅 戦前の住宅形態を残す家々 西脇健治邸 跡地 岡田信一郎設計 の邸宅がありましたがその時の要素を残し高層化したレジデンスが建っています。 ◼︎牛込柳…

戦前の川口新興住宅地

埼玉県川口市の川口駅周辺は昭和初期に急激に発展し始めた地区で、明治期までは本町地区が日光御成街道の川口宿として小規模に栄えただけであった。1910(明治43)年に川口市栄町に国鉄川口(町)駅が開設され、中心部が川口駅前に変遷する。国道122号線(日光…

神保原駅界隈の近代建築

宿場町がある場所には古くから残るが、鉄道開発が由来の都市形成と建築の関係はどうなのか。 日本鉄道によって中山道に沿って、明治30(1897)年に開業した神保原駅。 駅舎は昭和9年から改装をしながら残るもので外観の一部には下見板張りのピンク色の板材が…

国立競技場横、ちゃんぽん屋の外苑食堂、水明亭は解体か?復元か?

今日、国立競技場前駅で降りる機会があって建設中の国立競技場横の水明亭でちゃんぽんを食べようかと思った。しかし、GoogleMapで表示されたのは閉店という赤字だった。綺麗になった駅構内を抜け地上に上がった。 建物所有者の事業変更による閉店だそうだ。 …

建築家・木村傳のアノニマス建築群

一度物凄い脚光を浴びる者に、人々は便乗、模倣し、それを越えようとする。街には同じようなものがいくつも現れ、いつしか、気がつかないうちに通り過ぎてしまうものへと変わっていく。 しかし、よく見るとそこには美しいものが隠れていたりする。 1960年台…

三ノ輪から入谷へ

三ノ輪駅からから入谷駅方面へ歩くと今も町工場や銭湯、お菓子屋、住宅、問屋などに戦前の形式の住宅が多く残る。その多くが竣工後または戦後に増改築をして、物干しを屋内化または屋根上(屋上または3階)の増改築をして労働者や一家の生活空間を確保してい…

徳島市と周辺の近代建築

みずほ銀行徳島支店(旧阿波農工銀行本店) 竣工:昭和4(1929)年 設計:國博 施工:竹中工務店 高原商店社屋 竣工:昭和7(1932)年 設計:鈴木禎次 徳島県郷土文化会館竣工:昭和46(1971)年設計:西山夘三

かんなみ新地と誘引建築群

かんなみ新地 見た目は戸建て住宅の集合体ですが、ファサードには異様な数の室外機が現れた中に多くの部屋があることがわかります。 大阪界隈の他の新地は旅館や料亭など、業態を変え、営業しているが、かんなみ新地は見た目が普通の住宅で店ごとの看板や名…

歌舞伎町のアノニマス建築群

以前友人に歌舞伎町での飲み会に誘われた。 連れてきてもらったのはこのバラックが軒を連ねる路地だった。 思い出の抜け道、新宿センター街 since1951とあることから、戦後復興の中で集まった同商人が共創した建築群である。 ホ○トクラブや風○の無料案内所の…

根岸から東日暮里のアノニマス

根岸、東日暮里界隈の終戦直後の航空写真をみると白色に近い区画の中に、黒くなったエリアがある。戦火で焼け野原とならず、残ったエリアの残影だ。 キノネアトリエ 旧武蔵屋酒店 昭和3(1928)年 築の酒屋さんは2018年3月に閉店。その2軒長屋を活用しオフィス…

東大前から春日の近代建築

三陽電気、南陽堂 数年前までこの建物の側面に見える出桁の長屋と同じ形態のものが横に連ねていた。看板建築は突然飛び出てきたハリボテ的な突然変異。 棚澤書店 明治中期 登録有形文化財 万定フルーツパーラー 昭和3(1928)年 高崎屋酒店 店内にも飾ってある…

東十条と十条の界隈

旧日光御成街道である東京都道460号沿いは赤羽岩淵や赤羽駅界隈に古い建築が残っていた。東十条駅界隈も同様に近年道路拡張のため、少しずつ変わってきている。 こちらの銅板のモダンな看板建築は2019年2月に道路拡張のため取り壊されてしまうそうだ。 増築…

神田駿河台から近代建築

ニコライ堂 明治26(1893)年 設計:ジョサイア・コンドル 改修設計:岡田信一郎 ニコライ堂周辺施設 明治期 東京医科歯科大学二号館 昭和7(1932)年 設計:文部省 日本大学理工学部三号館 昭和7(1932)年 御茶ノ水駅 1932(昭和7)年 設計:伊藤滋 山の上ホテル 1936(…

三田の近代建築

津国屋酒店 大正13(1923)年 栃木屋 大正、昭和初期 堀越整復院 銅板模様の庇が特徴

田園都市、ときわ台駅界隈の近代建築

ときわ台駅北側の常盤台1丁目・2丁目一帯は、東武鉄道が田園都市づくりを目指して、昭和8(1933)年~昭和13(1938)年に駅の開設を含めた26万4千㎡に及ぶ区画整理により造った街で、住宅地は「常盤台住宅」と呼ばれています。

高田馬場界隈の近代建築

◼︎馬場口の近代建築、看板建築 道路拡幅工事を予定している高田馬場駅から東西線が地下を通る駅前の道を辿ると鉄骨造の2,3階が付属したビル群が連立する。その通りと副都心線の通る明治通りの交差する馬場口交差点には南西と斜向かいの北東に看板建築郡が建…