戦前の川口新興住宅地

埼玉県川口市川口駅周辺は昭和初期に急激に発展し始めた地区で、明治期までは本町地区が日光御成街道の川口宿として小規模に栄えただけであった。1910(明治43)年に川口市栄町に国鉄川口(町)駅が開設され、中心部が川口駅前に変遷する。国道122号線(日光御成街道)の中継地点の本町と川口駅周辺を繋ぐ本町大通りにはバスロータリーが造られ、商業地区、鋳鉄工業地区として発展した行った。

しかし、昭和10年頃から市街地が拡大し、川口駅、国道122号線付近の南平工業地区(南平、朝日、領家付近)や青木地区(幸町、青木付近)が急速に鋳物工業地区として発展し、労働者のための平屋の長屋住宅や都心部で働く労働者のための文化住宅が多く造られた。

芝川、荒川(隅田川)界隈の河川敷は江戸期から幾度と流路を変え田園地帯や舟運流通拠点として発展してきたことも工業地区として発展してきたで所以である。

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N製作所 幸町 戦前

美しいタイルと赤みが良い木板や鋼材の装飾を持つ
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文化住宅
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町家 
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平屋長屋住宅

本町や青木、南平地区に多くある形式の住宅

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戦後の町家建築

戦前は寄棟、切妻の住宅が多く、入母屋破風は戦後の農家住宅に多く現れ、繁栄を語っている。

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表通りは道路整備で大きくファサードデザインが戦後の形式に変わっているが奥は屋根や外壁に戦前の姿を残す。