建築家・木村傳のアノニマス建築群

一度物凄い脚光を浴びる者に、人々は便乗、模倣し、それを越えようとする。街には同じようなものがいくつも現れ、いつしか、気がつかないうちに通り過ぎてしまうものへと変わっていく。

しかし、よく見るとそこには美しいものが隠れていたりする。

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1960年台頃から始まった建築運動のメタボリズムに代表される建築といえば中銀カプセルタワー(1972年)や山梨文化会館(1966年)などが挙げられる。

同時期の昭和46(1971)年に建てられた建物にプラザ新大樹という巨大な楼閣がある。

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低層部にはオフィス、高層部には住宅となっているようだ。

よく見ると低層部に柱や張り出す空間のあるストラクチャーの力強さを感じ、梁の張り出す6階には斜めにかかるガラス窓が見える。そして、7階からは集合住宅よ共用廊下、12階にはユニットのような空間があり、以前は低層部に商店ビルがくっついていた。当時流行の建築様式がコラージュされているようにも感じる建築である。

 

このビルは建築家の木村傳の建築設計事務所の設計したもの。

https://www.k-u-t.biz/2012/02/28/丹野君-前に乗りなさい/

KUT都市建築研究室さんのブログでは建築の立ち上がる頃の姿が描かれている。

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↑道路拡幅前は3階建低層部が西と南にに付いていた。

オフィスビルは拡幅前の明治通りに1980年台から90年代にかけて多く建てられ、形状、タイルなどの類似点が多い。

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3度の増築からなるビル↑

これらの建築は一棟で孤立せず、道路拡幅前の居住者同士の関係から幾度かに分けて増築、結合、高層化されている。そのため、各ビルに連結箇所や本棟、別棟などの名前が付いている。

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様々な住戸が増幅し高層化したビルには通りに面して低層2,3階建の鉄骨造の商店が付き、地下鉄副都心線の開通、明治通りの拡幅によって低層の住宅や商店は取り払われビルの素顔が剥き出しになったのです。その過去を物語るように建築群は姿を残しています。

 

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新宿大久保在住ブログさんでは↓

http://angelokubo.blog34.fc2.com/blog-entry-10.html

低層部を解体したビルの写真が載っています。

 

赤猫丸平の片付かない部屋さんでは↓

http://acanekomaruhei.net/2015/12/31/大久保2丁目交差点の変遷(2002年-2015年)%E3%80%80東京の栞(0/

拡幅前の東新宿駅前の周辺の地図が載っています。

 

これらのデザインのビルに類似したレンガタイルやブラウンのタイルを貼ったビルは明治通り新宿方面に向かって多く存在する。平成初頭の1990年代に多く建てられバブル期後半の建築群であり、今は見られない外装材が使われていたりする。

 

明治通沿いには様々な建築家の知られていない不思議なアノニマス建築がまだ隠れている。

 

参考

街中の人から聞いた話

 

木村傳建築設計事務所サイトさん

 

KUT都市建築研究さん

https://www.k-u-t.biz/2012/02/14/建築家-木村傳/

赤猫丸平の片付かない部屋さん

http://acanekomaruhei.net/2015/12/31/大久保2丁目交差点の変遷(2002年-2015年)%E3%80%80東京の栞(0/

新宿大久保在住ブログさん

http://angelokubo.blog34.fc2.com/blog-entry-10.html

など