2018年に解体された東上野の戦前の建築
上野の東上野、北上野エリアには約100件近くの戦前の看板建築、近代建築が現存しています。しかし、外装材が変化されている場所が多いため分かりにくくなってしまっています。
私は東上野界隈では看板建築などの民俗建築記録を行なっているため後々掲載していこうと思っています。
今年だけで数十件の解体が確認されています。これは2020年の東京オリンピックへの準備として、某国外資系の方々の投資によって地主さんが経営されていた長屋などが一括して宿泊施設や高層マンションへと更新されているからと小耳に挟みました。ここでは紹介しきれないが代表的な数件を紹介します。
2017年に撮っていた写真。入居者募集がされていましたが、2018年始め久し振りに下谷神社前を歩くと解体され跡形もなくなっていました。
この後。江戸東京たてもの園であった、看板建築展ではこのことを取り上げられていました。
ここは同潤会上野下アパートの向かいにあります。以前はお弁当屋さんがありましたがここ数年廃墟化していました。この建物がいつ建ったのか気になっていましたが11/1に解体されていました。
解体前にお話しした際1930年代の建築と伺いました。赤壁は隣にあった建物の壁ではなく防火壁として建てたそうです。
このブロックには看板建築が密集していましたが、一帯が再開発となり解体過程で戦前の建築の姿を表すことになります。
これも上の写真の価格と同じです。お借りした古写真を掲載します。銅板(アカガネ)の看板建築でしたが、外装材は大きく変更されていました。
解体前にご縁で入れていただいた。建築で内装は現代風に改築されていました。立派な欄間なども残っていました。
角の木が良い雰囲気をつくりだしていた旧染物屋さん。解体前に良い骨董品のガレージセールをなさっていたときにお話しして、中を色々見せていただきました。
増築が繰り返されて元は看板建築でなかった長屋も次第に看板建築に増築されていきました。物の大量生産の時代となり容量を拡大する必要があったのです。それに対して減築された建築もあります。解体されない限り建築はサグラダファミリアと同じで永遠に完成はしないと感じます。