川口市近代建築群 その1 本町
川口市の本町(ほんちょう)はかつては日光御成道の宿場町であった。鋳物のまち川口と数年前まで言われ、工場煙突のキューポラがよく見えた。
川口本町はかつてバスロータリーがあったため、戦前は栄え、数年前まで商店街にはパン屋さんや酒屋、銭湯、雑貨屋、服屋などがあってそこそこ栄えていた事をおぼえているが、先日久しぶりに行って空き地が増えてしまっていたことに驚いた。このまちの近代建築については10年ほど前に裏川口発見(http://www.geocities.jp/onariiti/urakawahakkenn.htm)というサイトさんで川口の魅力的な街並みを知り近代建築から看板建築へと誘われていきました。福田屋洋品店さんは藤森照信さんの看板建築でも取材されていて壁面の装飾を紹介されています。今回は本町の建築を中心に紹介していきます。
◼️本町
福田屋洋品店 昭和11(1936)年
数年前までは肉屋さんがあり、三軒の看板建築が連続していた。
ナゴヤ本店 昭和13(1938)年 頃
外壁はもともとモルタルで石積みのような重厚感を作り出す、ルスティカ建築でしたが東日本大震災で滑落、補修。店主から拝聴
縄屋商店
母屋:大正初(1920)年、店:大正末期
店舗は関東大震災で倒壊、立て直したそうです。
私の好物美味しい煮豆があります。店主から拝聴。
本町2丁目会館 昭和15(1940)年
タイル装飾が昭和10年代の建築らしさ
中西日進堂薬局 明治30年代か
五十嵐理髪店 大正12(1921)年
浜田接骨院 明治40(1907)年
蔵はギャラリーとなっている接骨院さん。戸袋の位置から窓は結構大きなものだったことがうかがえる。
芝崎新六商店 大正15(1924)年
近年、洋風の離れが解体されました。
W邸
大正末期から昭和初期
N邸 昭和11(1936)年
鹿島屋雑貨店(旧川口郵便局) 明治5(1872)年 解体
川口ダイキャスト 大正期 不明
看板建築長屋 昭和初期
数年前まで、もう何軒か連続した長屋群だった。多々良せんべいさんは閉店してしまったようだ。
凱旋橋 明治39(1906)年
正木屋洋品店 不明
星野鋳工所 明治末期〜昭和初期
洋館、和館、工場など数件の建築が現存する。
◼️その他建築
本町3丁目 不明
本町1丁目 不明
本町スクラッチタイルの家 不明
川口市の研究員の方に伺ったところ戦後1950年代の建築だったそうです。
2018年4月に撮影しました。10月の時点で解体が確認されました。解体現場に落ちていたスクラッチタイルの形状、塗膜などの特徴から昭和10年代から戦後の特徴が伺えます。
この界隈は荒川放水路建設の大正期以前は街道沿いの芝川(旧芝川)の河岸として栄えたエリアで三つの家が都内へ降ろすため始めた鋳物から始まり、近代化の中で鋳物産業が発展していきました。
私は13年ほど本町の建物を見てきましたが、毎回新しい発見があるとても深いエリアです。
川口市文化財センター下の鋳物資料室(要予約)では川口市の鋳物産業と都市の発展を見ることができます。