八王子の近代建築群 戦後建築の逸話
商店建築はやはり自分が生まれ育ち、または嫁ぎ先で商いを重ねてきた家で、たとえ流行が時代を一世風靡しても必死にそれにしがみつき、幾度となく化粧直しをしてきた。
八王子は多摩地区の人口57万人の都市で甲州街道の要所であった。しかし、戦火で蔵、蔵造りの商家を残して街の大半が全焼。戦後復興期にモルタル外壁の木造建築が軒を連ねた。
1950年代の戦前の様式に近い装飾を削ぎ落とした看板建築の間の路地のような場所を入っていくと戦前の蔵がのこっている。
◼️八王子市横山町
●小谷野紙店 八王子市横山町
この建築の二階壁には和洋紙、襖紙、壁紙とある。
こちらは戦後復興期にあたる昭和25(1950)年に竣工した木造建築である。
横山町は戦火で蔵以外のほとんどの建物を焼失し、看板建築と呼ばれるファサードの壁が屋根を隠す形状は戦後の復興期の建物にも用いられたが、1950年頃のこの時期から建築基準法の改正により、外装材に防火材として用いられたタイルや銅板などが使われなくなり、装飾の少ない、モルタルに配色をした建築が増えてきた。
天井の高い店内、看板から伝わってくる格式と、商品を記した広告が店を飾っている。建築の魅力もいろいろ教えていただいた。
建物の設計は町の大工。戦後、ある日に店の前を通りがかった大工が「ここを俺につくらせてくれ」と一言頼んできたという。その一言で店主がOKを出したという事を笑いながら教えてくださった。
●荒物金物雑貨の大島屋の看板は戦前の右読みであり、街道沿いの広い間口の商家である。
ここは歩いている時一眼に止まった。
「信用を売る店」という看板には信頼を大切にする商人らしさを感じる。
店主さんに伺いましたが、竣工時期は戦前戦後は不明とのことですが、店主さんが嫁いだ店の祖父母の方が2人で建て、切り盛りしてきたそうで、立派なファサード、広々として、天井の高い店内、良き材が使われています。伝統を感じる、右読みの看板は昭和初期から戦時中にかけて用いられた書き方です。ただ、これがあると言って戦前の建築とは言い難い。
国土地理院の1945年頃の航空写真を確認すると片流れ屋根の屋根形状は異なる。
また周辺の戦後の建築のように装飾は少なく、モルタルの外装材でもある。
良き工芸品々も並んでいる。
同じ敷地の隣の家は改装されている。
街を西に歩くと戦後の建築に出会う。
アーケードの下をくぐると、横山町の一つ代表的な戦後の建築に出会う。
駅へ続く斜路は戦後の区画整理によって整備され、道沿いには戦後復興期の建築も何件かある。
甲州街道沿いにあった商家も何件かはマンションや再開発、リノベがなされて更新がされている。最近流行りの白い建築となって面影は無くなったが。
花街は黒塀の景観をつくりだす努力をしている。ここはよく見るとシンプルでなかなか面白いが、遠目に見ると良い雰囲気で面白い。