谷中界隈のアノニマス近代建築 隠れた建築をさがして
谷中銀座は大正期から昭和に至る間に暗渠化された藍染川(谷田川)の上に形成された商店街である。表通りには増築改装を繰り返したファサードが、側面には昭和初期の出桁長屋が隠れている。
鮮魚山長など 大正5,6(1915)年頃築
※拝聴
壁の塗り替えや看板で分かりにくいが東洋風の装飾が所々に見える建築。店主に伺ったところ7件連続する長屋で、建て替えられた南の二軒は一階を駐車場に使った倉庫と住宅だったそうだ。川の暗渠化された時期は大正末期のためそのころからこの形状だったかは謎であるが谷中の初期からの建築であることは間違いない。
看板建築は関東大震災の今和次郎率いるバラック建築社によってつくられた復興建築ものだと記されている書籍は多いが、これは看板建築という観点として。長屋としての共通意匠のこの形式は震災前に遡る。
吉川錻力店 大正14(1924)年頃
ブリキ店なのでトタン屋根や雨樋などこの建築を象徴するような建材を扱っているお店のようだ。震災以降の建築。もともとは赤かったはずだ
大沢銅壺店
裏路地
増築を重ねた中華料理店
赤煉瓦の壁