神田神保町 靖国通り南部の近代建築群
靖国通りの南は店が北を向いているため日照による本の損傷がない為、古書店街となっていった。また、大学生の集まる古書店街には留学生の外国人が働いた中華料理店なども多くあった。
旧チャールズ・イー・タトル商会
現在はラーメン屋の看板で隠れてしまった看板建築で、数年前まで閉店したままで建っていた。となりの青い建物などの数件とセットの長屋であった。
テラススクエア旧博報堂本社 昭和5(1930)年
設計:岡田信一郎
施工:戸田組
2012頃から解体され2015年にファサード保存という形で復元された。私が中学生だった2006年に訪れた時には使われておらず遊休資産となっていた。一階はコーヒー店になっている。
色は塗り替えられてるようだが美しい装飾が伺える。
文房堂ビル 大正11(1922)年竣工
設計:手塚亀太郎
1990年ファサード保存をし建て替え。
三鈴堂眼鏡店・大久保書店・旧本と街の案内所 大正14(1925)年
11軒長屋の一部、ほとんどが解体、改修され、当初の形で残っているのは三軒のみ。
うなぎ今荘 昭和8(1933)年
神保町2丁目
昭和5(1930)年
設計・施工:安藤組
矢口書店・古賀書店・篠崎運送店
昭和3(1928)年
東明徽章工芸 神田神保町1丁目
神田神保町 靖国通り北部の近代建築群
研数学館 昭和4(1929)年
設計
施工:清水建設
1897(明治30)年創立の日本最古の大学受験予備校であった。(平成13年廃校)2000年代は確か一部が居酒屋の和民だったことは記憶しており、美しいスクラッチタイルの使った建築だった。和民のあった塔屋のある方は別館であり、2016年に解体され、2017年8月の写真で残っている本館は2018年に解体された。
東方学館ビル
大正15(1925)年
誠心堂書店 昭和34(1959)年
みその
ヤマザキショップ中島店 昭和初期
元は八百屋さん。
戦時中の銅板供出で銅板装飾を失ったそうだが戸袋は現存。拝聴
日本大学理工学部駿河台図書(旧お茶ノ水スクエアA館) 昭和62(1987)年
設計:磯崎新 施工:大林,日本国土JV
WMヴォーリズ設計の旧主婦の友ビル 大正14(1924)年のファサードを復元し、それを組み合わせて、延長し高層棟などもデザインされている。
昭和11(1936)年
設計:西村伊作
独学で建築を学んだ西村伊作の作品。
2005年頃には解体が始まっていて当初はアーチ部分の4階まで残っていた。2008年に後ろの高層棟の完成時に披露された時には二階建てとなっていた。文化学院は2014年に文化学院は両国は移転、2018年には閉校した。
神田猿楽町町会詰所(旧猿楽町駐在所)
昭和5(1930)年頃
となりの富多葉は戦後だったか
◼️飯田橋
ライオンクリーニング
外観からは予想ができないが2軒の看板建築
旧山口萬吉邸
昭和2(1927)年
設計:内藤多仲、木子七郎、今井兼次
10年ほど前からちらほら様々なサイトで取り上げられていて気になっていたが、その頃は設計、名などは知られず謎の建築でした。
◼️神田小川町
参考書籍 日本近代建築総覧など
西神田の近代建築①喫茶 白十字
外観
2階
珈琲 白十字は西神田にある戦後の建築である。1947年頃、終戦直後に出来たバラック建築だそうだ。ウィーンのセントラルカフェなどをモデルにし、内装などの設計デザインは当時の美大生だった人だそうだ。それで安く作れたという。
施工は船大工でマスターの叔父に当たる方だそうだ。70年ほどを過ぎた様々な様式が混ざり合う芸術的なエントランスを持つ喫茶店。
なんちゃって建築とご主人はおっしゃっていたが、組み方などは純粋な和風建築。
戦後ドタバタの中で廃材から作られた建築だそうだ。職人が壁を塗る技術で木材を石材に化けさせたのだ。
中にはドイツ語の文字が多くある。これはモーツアルトの曲から歌詞を引っ張ってきたものだ。
三島由紀夫がよく客としてやってきた店でもりエントランスにはよじ登ろうとしたというシャンデリアもある。
そう言った話をマスターは詳しく伺った。他にも面白い話はあったがまたの機会に
二階の素晴らしいアンティークたち
外神田・秋葉原界隈の近代建築群
◼️神田須田町
万世橋 明治6(1873)年
筋違見附を撤去した石垣を再利用
竹むら 昭和5(1930)年
鶏鍋料理ぼたん 昭和4(1929)年
けむり神田須田町店
写真左のけむりにあたる箇所はかつて床屋でその左は喫茶だった。
となりの昭和シェルは戦前からのガソリンスタンド。
いせ源昭和5
山本歯科医院 昭和3(1928)年
鷹岡東京支店
建築年:昭和10年
設計者:谷口忠
毛織物卸売商社
昌平橋 大正12(1923)年
昌平橋人道橋 昭和3(1928)年
北原ビル 昭和2(1927)年
海老原商店 昭和3(1928)年
◼️外神田
末廣町、金澤町、旅籠町など様々なちめいがあり、住友不動産秋葉原ビルの場所には万世ホテルなどがあった。かつては旅館、印刷所、食堂が多くあった。
外神田にはアキバが流行した2000年代頃には材木商や食品問屋などの戦後バラック建築が数件残っていた。市場や高架線の解体で再開発されたばしょには高層ビルが建ち、裏通りの店は表へと変わっていった。また駅ビルの秋葉原デパートもこの頃、アトレに変わった。そのことで駅前にあったバラックは2010年頃にはすべて消滅した。
遠藤ビル
昭和10年の神田区No32には龍沢と書かれている。
◼️神田和泉町