赤山歴史自然公園(仮)と川口市の歴史

赤山歴史自然公園(仮)と川口市の歴史
2014/1/8(水) 午前 0:07 

ひがわりスケッチブログより


 
半年前、川口のアトリアで行われた建築の講座から色々、自分でも人間の精神と建築などを考えるようになりました。


講座では戦後の建築の合理性とデザインや篠原一男スクールから野武士、そして伊東豊雄さんへと繋がる内容でした。



伊東豊雄さんの建築を今更深く解説されたのは、当時は知りませんでしたが川口市のこれからを大きく左右するプロジェクトを抱えていたからでした。

それは赤山歴史自然公園(仮)です。

川口市は人口60万人で市域はほぼ市街地化されています。そのため火葬場の建設は必要とされます。

しかし、住民の理解を得るのは難しく、ここで市が考えたのが施設のシンボル化でしょう。

赤山の計画地区は首都高川口PAのそばで赤山城跡や武蔵野の自然が残る地域のためハイウェイオアシスを含めた総合的な新しい、市民の集う憩いの場を提供することが必要だと思います。市内の北部地区は比較的自然が良く残りますが近年は宅地造成のため破壊されはじめているため自然を残すためにも公園は必要でしょう。
瞑想の森(伊東豊雄設計)
川口市火葬施設計画案)

広報かわぐちや川口市のHPには設計者について全く触れていませんが伊東豊雄さんで間違いないでしょう。この火葬場は芸術と自然の流れを取り込み周囲との一体感を得ることをキーワードとしていると思います。

デザインも瞑想の森と同一で浮遊感のある形状です。高速道路のPA側にアプローチを設け池を見ながら回遊するようになるようです。しかし、予想パースは木々の緑で隠れたなかに羽衣のような白い建築が映えていますが、実際は後方に池があり手前が駐車場のため、緑には覆われないような気がします。全体図では緑が多く入っていますが実際は大半がアスファルトと建築になるため、火葬場が後楽園と東京ドームのようなスケールの可笑しい関係になってしまうような気もします。
ストックホルムのSkogskyrkogardenはE.G.アスプルンド設計の世界遺産の葬儀場です。公苑全体がストーリー化され広々とした自然と一体化し建築は装飾を取り払った幾何学的な建築はモニュメントとなっています。

この地でも同じように歴史と自然、集を繋いだ公園として考えることができるとおもいます。
何処か似ている気がします。

既存の博物館や展示館などは周囲の紹介や説明をするものの、展示物としてしか捉えることができず、実在するものまで足を運ばせるに至らない。

新しい歴史自然施設は展示物や案内と周囲にある実在の史跡や自然を同軸の流れに置き、周辺散策が展示物鑑賞のような一体感を持たせないと観光資源に繋がらないと考えられる。

ところで川口市文化財の保存が少し遅れていると私は10年程前から考えていた。一つに川口市の重要な産業であった鋳物工場は後世に伝えて行く良い資料ですし、本町の旧宿場町の近代建築も減ってきている。私が中学生のときに文科省で発表した赤山陣屋のレポートの作成も発掘資料以外の細かい資料は無く、現地も赤山陣屋についての面影を感じることは極めて困難である。古墳や戸塚城については完全に消滅した。隣のさいたま市蕨市と比べ歴史的価値観が薄いと思われても仕方ない。
今回の整備地も赤山陣屋の本丸でも曲輪でもないため赤山陣屋の展示や発掘調査は難しいだろう。

歴史的事件はほとんどなく表舞台にも現れなかった関東郡代の城だが規模としては徳川大阪城と同規模である。交通の要所の各街道に近く、江戸の北を守る自然の要害であった。その赤山の価値を歴史的資料を読み解き理解して行くことが文化施設の向上に繋がるだろう。


つづく