根岸から東日暮里のアノニマス
根岸、東日暮里界隈の終戦直後の航空写真をみると白色に近い区画の中に、黒くなったエリアがある。戦火で焼け野原とならず、残ったエリアの残影だ。
キノネアトリエ 旧武蔵屋酒店 昭和3(1928)年
築の酒屋さんは2018年3月に閉店。その2軒長屋を活用しオフィスとして再出発した場所。
看板建築の傑作の一つだった長屋の一部。右のアパートから角屋にかけて青銅色の銅板装飾にあふれていた。角屋のトタンの赤は竣工直後の銅板の元の色から来ているのかもしれない。
手児奈せんべい店 昭和初期
ここは煎餅屋の名店で少しお高めだが何度も買いに行きたくなる店だ。ここは二軒長屋で隣は看板建築になっている。構造上、階段、水回りは左右対称になっていて昔は薄い壁から隣の音が聞こえていたらしい。
神田駿河台から近代建築
三田の近代建築
津国屋酒店 大正13(1923)年
栃木屋 大正、昭和初期
堀越整復院
銅板模様の庇が特徴
高田馬場界隈の近代建築
◼︎馬場口の近代建築、看板建築
道路拡幅工事を予定している高田馬場駅から東西線が地下を通る駅前の道を辿ると鉄骨造の2,3階が付属したビル群が連立する。その通りと副都心線の通る明治通りの交差する馬場口交差点には南西と斜向かいの北東に看板建築郡が建つ。
広告の貼られた外観からは一見では分かりにくいが、外観の特徴は双方とも切石組積造のようなモルタルの仕上げとパラペット、片流れの屋根などに共通点がある。おそらく昭和10年前後か。かつてこの交差点は円形交差点(ラウンドアバウト)だったようだ。この建築たちももしかしたら道路拡幅で消えてしまうのかもしれない。
◼︎高田馬場駅西口の近代建築
高田馬場駅西側地区には10年ほど前には銅板の看板建築や長屋などが乱立していた地区であったが、道路拡張などにより現在は壊滅に等しい。
二件長屋看板建築
マンサード屋根の阿部豆腐店
創業90年、昭和15(1940)年この地に移転
この建築は近いうちに解体のようである。